「お先にどうぞ」と「ありがとう」の思いやり

子連れ登山のこと

先日、ヤマレコでお世話になっているangelinaさん、masatさんと大野山にて楽しい山頂でのひと時を過ごしてきました。

大野山~山頂の極上まったり空間

angelinaさんから私たち子連れ登山隊へのプレゼントとして頂いた「ゆっくり山マイマイ」。これは登山おける”思いやり”を象徴するアイコン。

今回はこの「ゆっくり山マイマイ」についてのご紹介と、子連れ登山ひいては登山全般に言える”思いやり”について、私なりの雑感を記しておこうと思います。

ゆっくり山マイマイの誕生

angelinaさんは私と同じく数々の山での登山を楽しむ方です。しかし突然の乳がんの宣告を受け登山どころではなくなってしましました。2017年には14時間にもおよぶ大手術から始まった長いリハビリ生活を経て、ゆっくりでもまた登山ができるほどまでに回復されました。

再び登山ができるようになったとは言っても、手術痕への衝撃や転倒を避けるために細心の注意を払ったり、手術痕の痛みや腕の痺れなど、歩行そのもの速度をゆるめる必要がありました。そしてそれは、登山道にて他の登山者とすれ違う時の不安とも繋がります。

 「お先にどうぞ」

それを何かわかりやすいカタチで伝えることができれば、との想いで生み出されたものが

 ゆっくり山マイマイ

なのです。
(かいつまんで概要を記してしまいましたが、詳しくは本家サイトをご覧ください。)

 

©yamamaimai.com

 

“お先にどうぞ”は子連れ登山にも当てはまる

登山は子供であっても楽しむことができるということは言うまでもありませんが、それには事前準備もさることながら登山中でも絶えず気を遣う必要があります。また、二人以上で登る登山といっても大人同士の登山とは条件が異なる事情が存在します。

そんないくつかの事情が発生した時に必要になるのが「お先にどうぞ」。私が子連れ登山をしている中で遭遇したいくつかの”事情”の中から、「お先にどうぞ」が必要になる理由をいくつか考察してみたいと思います。

Canon EOS 7D Mark II f/4 1/500sec ISO-160 24mm

(↑)チビワンの「お先にどうぞ~」はあらぬ方向に導く小悪魔的な案内が多いです(笑)

 

体格差・体力差

どれだけその子が山好きだったとしても、どれだけその子に登山技術があったとしても、これだけは越えらないという壁が「体格」「体力」という絶対的なハンデです。対大人という意味で子供たちはこれをデフォルトで背負っているということを蔑ろにしてしまうと、次回の山行から一緒に行ってくれなくなるどころか、他の登山者にも迷惑をかけてしまうことにも繋がります。

 

Canon EOS 7D Mark II f/4 1/125sec ISO-100 24mm

総じて男の子(女の子も?)は岩場での岩登りが好きだったりするので、大人と変わらぬ速さでスイスイと通過することもあります。他ならぬチビワンも大好きです。こんな(↑)乾徳山みたいなところはちょっと例外かもしれませんが、高度に対する抵抗が少ない子であればそう難儀することもありません。むしろ身軽な子供にとっては楽しさと達成感を容易に得ることができるようです。

乾徳山~奥秩父屈指の岩場を堪能

ただ、同じ岩場でも場面が下山時となるとそうも行かなくなります。人は同じ高さであっても、上を見た時の距離感(高度感)と下を向いた時の距離感(高度感)には大きな差があります。さらに、下を見た時は「落ちたら怪我に直結」という心理的効果も加わるためその差はより一層広がります。

 

Canon EOS 7D Mark II f/4 1/1250sec ISO-100 65mm

これは谷川岳天神尾根をピストンした際の下山している時の姿ですが、思いっきり腰が引けてます。結局この後は岩に座るようにして、ズリズリとお尻を引きずる形で降りました(この岩を巻いて進むという選択肢もあったんですけどねw)。こんな大げさで慎重な進み方は登高時にはまず見ることがありません。この場所も登山中には気にとどめることもなかったことでしょう。

谷川岳~錦彩の稜線、秋の風

この岩からの落差はせいぜい50~60cm。大人であれば膝上くらいの高さなのでヒョイと越えて行けてしまうでしょうが、子供の場合はそうも行きません。小学校低学年くらいの身長からすれば腰丈ほどの高さです。大人でも”腰丈ほどの高さ”はそう気軽に乗り越えていけるものではありません。

このような体格差、体力差で子供がゆっくりになるのはある種の防衛本能が正常に機能している証ともいえ、そのような時は自然と体が精神的・体力的に一番安全と思われる速度で体を動かします。なのでそれを無理やり急かせるのは危険であって、「お先にどうぞ」とするのがベストです。

こどもの前で「お先にどうぞ」を言うと、「頑張って歩いているのにどうして道を譲らなきゃならないの?」と自尊心を傷つけてしまうこともあります(相対的にゆっくり歩いている自覚が本人に無い場合が多いので)。そんなときは子供が遅いからという理由ではなく(仮にそうだとしても)次のような感じて伝えてみてください。

shoytomo
いやぁ、パパ結構疲れちゃってさ、〇〇〇の歩くスピードに追いつけなくなっちゃったよ。ちょっと休憩してもいいかなぁ?
chibi-1
え~、しょうがないなぁ・・・

ちょっとした言い回しを変えるだけの気遣いで子どものモチベーション低下を防げますし、場合によっては上のチビワンのように、その子の自信にも繋がることでしょう。子連れ登山の主役は子供です。ここは一つ、恥を忍んでピエロになってあげましょう。

 

洞察力の低さ

子ども(だけに限った話ではありませんが)は一つのことに集中してしまうと周囲への洞察が効かなくなる時があります。ただでさえ注意を払わないと転倒して怪我をしかねないのが登山道です。そこでの歩行に集中しながら、かつそれが楽しかったりすると周囲(特に後方への)注意力は往々にして散漫になります。

 

Canon EOS 7D Mark II f/4 1/1600sec ISO-250 28mm

木曽駒ケ岳(↑)では、高山病(寝不足?)により不調になりながらも、ようやく下山目前で調子も良くなってきました。病み上がり(?)ながらも足元に注意して歩きながらそれなりに楽しんでいたようですが、このすぐ後ろには女性ソロハイカーさんが迫っており、チビワンはそれに全く気が付かないようで、洞察の力の低さというのも改めて実感した時でした。

木曽駒ヶ岳~一期一会、涙を越えて

 

予測不可能のグズり

これはもう・・・特に子供の年齢が低いと山でなくても避けられない宿命ではありますが・・・。チビツーのように知的障害を負っている子の場合は、より一層ご機嫌に関しては気を遣う必要があります。それこそ「この場に居たい/居たくない」というものから始まり、さらには「眠い」というだけで機嫌が悪くなることだってあります。

グズられるというのは親にとってもかなりの負担になります。下界であればまだ選択肢は多いかもしれませんが、リソースの限られた山の上となるとそうはいきません。山においては子どもの機嫌は良いに越したことはないのです。

ゆっくり歩く、立ち止まって譲るというのは必然的な選択肢になります。そういう時もやはり「お先にどうぞ」なのです。

 

 

“ゆっくり”でいいんです

登山道の道標や、所要時間目安が記載された地図などから「標準CT(コースタイム)」と呼ばれる概念がありますが、標準とは言いながらもイマイチ抽象的です。同じ人が歩いたとしても「そんなにかかる?」「もっと早く着くよね?」と思うことはよくあることです。

Canon EOS 60D f/5.6 1/160sec ISO-320 55mm

結局のところ速い遅いは相対的な概念で特定の速度を示すものでもなく目安の一つでしかありません。子連れをしながら、ハンデ部分を庇いながら、撮影を楽しみながら、どれも登山として禁止されているものではありません。あるハイカーさんから見れば、彼らは遅く見るかもしれませんが、トレイルランナーさんから見ればそのハイカーも遅く見えているかもしれません。

大事なことは、特定の概念・制約に縛られず、相対的に状況を見て思いやれる心です。この山マイマイを見た時に、「この人はゆっくり歩く人なんだな」と思ってもらうのはまず第一歩ではありますが、その次は「歩く速さは人それぞれ」という認識を改めて自覚してもらいたいということです。言葉ではわかっているという人は多いと思いますが、実際にそれを常に意識して歩いている人はそう多くないと思われます。

Canon EOS 7D Mark II f/4 1/100sec ISO-400 58mm

速く歩くことは”健脚”、と誉め言葉の一つとして使われる風潮がありますが、個人的には「速く歩くこと」とに良さを感じることはありません(もちろん状況によっては「速く歩けること」が有利に働くことはあるとは思いますが)。

ゆっくり歩いていいんです。堂々とゆっくり歩いてください。ゆっくり歩ける心の余裕に誇りを持っていいと思います。

 

広げてほしい登山での”おもいやり”

ゆっくり山マイマイは「これを持ってればどんな状況も好き勝手が許される」という免罪符でもありません。「このマークがあるのにどうしてわかってくれないの?」ではダメなんです。「ゆっくりだけどゴメンね!すれ違いや追い越しの時に声をかけてくれてありがとう!待っててくれてありがとう!お先にどうぞ!」の気持ちがあって初めて表明できるものです。

その一方で「お先にどうぞ」だけでは成り立ちません。その発信を受けた人も「教えてくれてありがとう、譲ってくれてありがとう」「気にしないでゆっくり歩いてね」とならない限り、いつまでの良好な関係は成り立ちません。

その根本となるのが「おもいやり」と「感謝の心」です。

そんなことを気づかせてくれて、そしてスムーズな声かけを仲介してくれるようなアイテムになってくれればなと思っています。

©yamamaimai.com